Saturday, January 12, 2008

陽のあたる環境は特権ではなく権利だ

このエッセイは,JELF(日本環境弁護士連盟)発行の機関紙(2004年度)の「法律家への手紙」というコーナーにて掲載されました。

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金 美穂
オークランドに拠点を置くDataCenter所属。環境正義運動体を支える研究チームのスタッフ。www.datacenter.org, miho@datacenter.org

米国カリフォルニア州のベイ・エリア地域に詳しい方も多いと思うが、私はその最北部にあるエル・セリートという人口5千人弱の町に住む。文字通り、スペイン語で“小さな丘”という名のこの町は、あくびでもすればすぐ通り過ごしてしまうほどの小さな町で、バークレーの影で肩をすくめてひっそりとしている住宅地だ。

ベイ・エリアと言えば、神秘的な霧に包まれひっそりと聳え立つゴールデンゲート・ブリッジ、サンフランシスコの1万ボルトの夜景、ツイン・ピークス、など世界的に有名な観光名所が数多い。我が家の庭からは、さすがに丘の上だけあって、それらが全景できる。

ある日、職場からの帰り高速を飛ばしていた。からっとした天気で、開いたまま壊れてしまって以来閉まらない運転席の窓に突っ込む風もこの日は苦ではなかった。すると、腐った卵の臭いが鼻を突き、その数分後目玉が飛び出るほどの頭痛に襲われた。”リッチモンドのシェブロン精油工場で、空気汚染事故発生、家にこもって窓を閉じるように“と家のテレビのニュースが口走っていた。英語を話さない移民、難民の多いこの地域でずっと外で遊んでいた子供も多かったと後で聞いた。自宅からわずか7,8キロ丘を下った先にある巨大な精油工場や精油からの副産物を活用する200以上の汚染施設が密集するリッチモンドは、25キロ離れたサンフランシスコが全貌できる庭からは見えない。

“環境”の定義を“自然”や“生態系”と重ねて定義した視点から環境正義を捉える傾向がよく見られる。だが、リッチモンド出身の環境正義活動家エテルさんにとっての環境とは、自分が、そして家族が“共に生活を営み、働き、遊び、祈り、学ぶ場所”である。人間が住む環境に正義が欠けている、とは一体どういう生活環境を指すのか。

エテルさんの両親は戦後, 何十万ものアフリカ系の人々と同じく職を求めて南部から移住してきた。公民権取得の10年以上も前の話である。とにかくひもじかったと言う。オークランドの海軍補給センターで雇われた父親はがんばって働き、ボスに見初められて“お前のような模範的な職人には特別の業務を与える”といわれ、ぶ厚いコンクリートの壁に囲まれた部屋の中で普段着のまま不明な液体を処理した。抜擢された「優等生」はみな黒人であった。母親は “作業服にこびりついた無数のおがくずのようなものは一体なぜ暗闇で光るのかしら“と疑問に思いながら毎晩洗濯していたと言う。化学療法のせいであらわになった頭皮が痛々しい。すぐ向かいの海軍の基地で広島に投下された原爆が製造された事は知ってはいた。でも差別と貧困の中、放射性物質だろうと職を選べる立場では無かった。

老いた両親が住むシェブロン施設の真裏の荒野にぽつんとあるパーチェスター・ビレッジ住宅団地は、黒人を嫌がる白人を考慮して、親善的事業として1950年頃黒人専用に開発された。そこでエテルさんは生まれ育った。シェブロン工場風下の団地の地層にはシェブロンの石油パイプラインが通っていたが、知らされたことは無い。ここでは喘息の発生率が極めて高いのも偶然ではなかろう。家庭菜園の野菜が水銀を含む家もあった。ここの住民は、90%以上が有色人種で、皆低所得者だ。

丘の上で普通に生活していてまず見えないのは、丘の下で夥しくたれ流れる汚染と日々戦う人々だ。でもその背景には、人種差別同様、見ようとしない社会・民間・行政の体制が根強い事をかんぐらずにはいられない。カリフォルニアに連想するのがハリウッドだったり、サワーブレッドだったり、日に焼けた金髪であったりすることを思うと、州人口の過半数(53%)を占める有色人種は透明化されているとしか言えないのでは。何よりも人種が公害施設の設置を定める、という研究結果が1987年に公表されて以来、「ベイ・エリアの脇の下に値する市」とエル・セリートの市長が侮辱した隣町リッチモンドの住民は人種差別、貧困と公害の三重の壁を突き破ろうと、陽のあたる環境は特権ではなく権利だと主張する“環境正義”運動を世代を超えて展開している。かつてはキング牧師やマルコムXらが率いた人種正義・公民権運動に基するとされるこの新たな運動は、こういった社会の草の一番根っこから今全米でうねりを上げている。

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