Saturday, January 12, 2008

ベイエリアから環境正義運動リポート:当事者がEPAを相手取る!

このエッセイは,2004年2月、JELF(日本環境弁護士連盟)発行の機関紙に掲載されました。

金 美穂

イラクへの侵略が幕をきって以来、軍事局は環境保護規定から免除される項目も増え、EPA(環境局)は日に増して一般市民への説明責任メカニズムを削減している。特に垂れ流し施設に囲まれたようなコミュニティは、自家栽培の野菜や飲み水に水銀が混じっていたり、大気汚染のせいで喘息が耐えなかったりする一方、イラクなどの戦場の前線に送られている(市民権が欲しけりゃ前線に行けという作戦も政府はアピールしている)。

そこで、環境正義運動を担う人々は、“なぜ我々が健康被害を立証しなければいけないの”という疑問から始まり,予防原則(Precautionary Principles)の導入を要求するキャンペーンを盛り上げた。どんな廃棄物であろうと、垂れ流した際に悪影響は起こらない、ということを証明した上、初めて廃棄を許可するべきである、ということだ。従来、施設の垂れ流しに反対する付近住民側にこの”証明の義務”が課されてきたが、たいてい環境汚染が集中する地域は移民・難民などが大多数の低所得世帯であるから、科学的にヘルス・インパクトの有無を立証するほどのリソースがあるわけがないのだ。しかも、連邦政府が定める超汚染地域(スーパーファンド地域)のクリーンアップの予算も戦争予算の二の次として大幅にカットされているので、事前に汚染を防ぐことしか環境を守る手段はないといっても良いぐらいだ。

さて、成果はやっと実り、昨年の秋とうとう加州EPAの環境正義基本原則が採決された後に、その導入に関して公聴会がオークランドで行われたが、サン・ディエゴ国境地帯からシリコン・バレーまで、300人近くの地域住民がカラフルなポスターを掲げて集まった。会場まで集合場所からダウンタウンをうねり歩き、”Precautionary Principles NOW! Environmental Justice NOW!” などと、元気良く通行人や取材班にアピールする。多くの中高生は休学し、働くお母さん達は休暇を取ってまでこの日のために、おそろいのTシャツとキャップをまとい、団結を示している。楽器や玩具を手にして、それぞれの文化背景を前面に出したデモで、皆の表情が活気付いている。

市民が”政策作りの過程に直接参加する“(これは環境正義運動の要求の一つでもある)場をこの公聴会に確保したのだ。サン・ディエゴ付近の国境地帯に住むラティナの労働者達を引率してきたノへリア・ラモスさんは、まだ20代前半の活動家だ。”私はこの200人のコミュニティの代表らと共に、発電所や海軍基地に隣接した公園で遊び育ってきました。汚染による害はないと言われながらも幼い頃から喘息に困ってきました。遠足には先生が吸入器を鞄いっぱいに詰め込んで行くんです。後になって私が住む地域は、加州で喘息発症率が一番高いと聞いています。長期にわたる健康被害が後ほど排気物質と関連されても、私達には手遅れなんです。貧しい家庭で、緊急対処ができず命を落とした人も多い。弱い命を守ることが先決です。そのために予防原則は欠かせないのです。” ロサンゼルス出身の19歳のラティノ青年、ホルヘ・ビラヌエバ君も、”僕は幼い頃から石油工場付近に住んでいて、喘息や原因不明な肌のできものに悩まされた。生産の過程で環境にかかる負担を僕ら貧しい移民に押し付けるのはおかしい。企業にとってタダでも、代償を僕らは健康で払ってきた。被害を立証するのは汚染企業がとるべき責任で、EPAはそれを取り締まりできなければ責任回避をしていると同様だと思う。どんな物質が僕らの水や土俵や空気に混じっているのか、データさえろくに手に入らないのに“と不満をぶつける。この公聴会は7時間続いた。深夜過ぎに帰宅した多くの参加者は、次の日も休みなく朝早くから出勤した。

社会正義運動が虐げられた人々をリーダーとして育成し、次の世代にもその灯火を受け継がせるためには、結果よりもその結果に至るまでのプロセスが大事である。政策や法律が自分の様な弱者をも守るように作られるためには、専門家や学者達に代弁してもらうのではなく、直接参加する。決して他者にリードを委ねてはいつまでたっても運動のリーダーには成長できない。すでに知識も資源もある人物ならすぐ達成できたようなゴールでも、自発的に弱者の人々が立ち上がる事によってのみ得られるリーダーシップは“はい、どうぞ”と提供できない。運動体が草の根に根付くということが、社会の不均等を覆す第一歩であり、真の平等社会を築き上げる不可欠な要素であるとすれば、加州EPAの公聴会に、私はとてつもない希望を見出した気がする。

No comments: